「優駿」オセアニア情報




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Mariko Hyland & Associates Pty.Ltd.



優駿 2002年1月号


今年で141回目を迎えるメルボルンカップは、これまでになく燃えた!カップ後、メルボルンカップは、ガールパワーの勝利だと、マスコミが一斉に書きたてた。実際、優勝馬はニュージーランドの牝馬エセリアル。調教師もニュージーランドの女性調教師シーラ・ラクソン。彼女は女性が公式にメルボルンカップに登録できるようになって初めての女性調教師となった。

エセリアルは、日本でもお馴染のリズム産駒。母親のロマネコンティは香港で特別レースに勝ったことのあるサートリストラムの娘である。10月にコーフィールドカップに勝っていて、これまで牝馬では3頭しかいないコーフィールドカップとメルボルンカップのダブル優勝を果たした。ところで、エセリアルは初めからメルボルンカップを目指していたわけではない。2400mのコーフィールドカップに勝った後、これまで走ったことのない2マイルレースへの挑戦を諦めてニュージーランドに帰るという話まであったという。そんなオーナーを説得したのは、エセリアルを自分で、馴致して、攻め馬をつけてきたラクソン調教師の情熱だった。彼女たちが遠征の基地にした、メルボルン郊外のマセドンロッジを訪れてみたが、3500mのアップヒル・ダウンヒルの調教コース。並みの坂路ではない。この調教コースをラクソン調教師は毎日1時間づつ1ヶ月間ひたすら歩いたらしい。その間ただの一度もギャロップをしなかったと、マセドンロッジの専従調教師、ジョン・サイモンズ氏は語った。

さて、カップにまつわるストーリーは更にある。今から13年前、ラクソン調教師の夫で、現在シンガポールで厩舎を持つローリー・ラクソン調教師が、時の最強牝馬エンパイアローズを連れてきて優勝。ラクソン夫妻は夫婦で一つづつメルボルンカップを獲っているのだ。それから、騎手のスコット・シーマ。シーマ騎手はクインズランドで騎手としてデビューしたが、あまりパットせず、騎手を諦めて、一時郷里のニューサウスウエールズ州の農園に帰って引退することも考えたらしい。それが、クインズランドオークスでエセリアルにめぐり合い彼の人生が大転換した。同馬に惚れぬいたシーマ騎手は、自費でニュージーランドへエセリアルを追っかけ、今回エセリアルがメルボルンで調整中もやはり自費で駆けつけた。結果は、コーフィールドカップとメルボルンカップの優勝。彼のエセリアルに対する忠誠心の賜物だ。

2日前のダービーの日はカンカン照りだったのが、カップデーは、丸一日、雨が降り続いた。そのまま逃げ切るかと思うほど飛ばしたファンタスティックフライトのペースメーカー、ゴドルフィン厩舎のギブザスリップ。エセリアルは、ゴール800m手前で、ぐんぐん速力を増し始めた。外から回って、ギブザスリップを捕まえた。2着を、3/4馬身離しての優勝だった。3着になったのは遠征馬のペルシャンパンチ。9歳の同馬は、今年で4回目のメルボルンカップ遠征、そして彼の最後のレースである。エセリアルに騎乗したシーマ騎手は、レース前、フレミントン競馬場のトラックを5回も歩いてみたらしい。その結果、トラックの8枠から10枠付近が最もスピードが出るとの結論に達した。もちろん、ギブザスリップのリチャード・ヒルズ騎手はこのことを知らなかった。

今年、日本馬でステイヤーズステイクスを勝ったホットシークレットがメルボルンカップに参戦するという話があった。長い距離が得意な日本馬は、重いハンデさえなければ十分に勝てるチャンスがある。来年は日本馬に、ぜひ参戦して欲しいものである。